内向型人間のまま生きていく

ゆっくりいっぱい考えて人間社会を生きている人のブログです

どうしても反芻思考を繰り返してしまう時は、一つ一つ紐解いてみる

以前の記事で、「反芻思考に陥りそうな時はひたすら「しりとり」をする」という話をした。
しかし、それでも反芻思考に陥る時はどうしてもある。そんな時にこれまでどうしていたかをいくつか振り返ってみた。

 

どこかにメモしておく

メモしておくことによって「頭から手放せないもの」を外に保管する。
そうすることで、頭で何度も考えて覚え続けなければという気持ちを減らし、必要なタイミングでまたメモの内容を脳にインストールすれば良いと考えることができる。

とはいえ、メモに起こすことそのものがストレスになることもある(嫌なことを思い返すなら、特に)。楽になることを目的とするならば、無理にやる必要はないなと思う。

特に、同じことをずっと考えていて進まない時は有効に感じる。

 

「今考えても結果が変わらないならつまり考えなくていい」と考えを変えてみる

お風呂に入っている間や、寝るまでの間にどんなにこれを考えても先に進まない(状況は変わらない)のだから、今は考えなくて良い、と考える。すると、眠るまでの間やお風呂までの間が、急に自由時間になる。

「問題から目を背けていいのか」という謎の罪悪感に苛まれた時も、これで乗り切ることができるかもしれない。

 

「むしろ考えてたら進捗が出てきてしまった」場合

「今考えても変わらない」と言い切れなくなってきた場合である。

同じことをずっとぐるぐると考えているのではなく、先に進みそうなら、せっかく思いついた分は例によってメモしておいても良いかもしれない。
その部分を今最後まで考えなくとも、明日になって次に同じ問題を考える時のとっかかりになってくれるかもしれない。要はセーブをしておくのみである。

例えば、プレゼンを控えていて質疑応答のシミュレーションを脳内で繰り返している時、新しい予想質問が思いついたら、それはメモに残しておいても良いと思う。

ただ、あとは「どんなに考え抜いても、100%まで辿り着けたかはわからないことがある」という問題が生じる。

先ほどのプレゼンの例えならば、質疑応答は完璧に予想できるものではないし、もし答えられなかったとしても死ぬ訳では無い(質問する側は準備に関係なく聞いてくるし、正直に「今後の課題とする」「持ち帰る」といった、真正面から受け取らない戦法もある)。

 

「少しでも良くなる余地があるなら寝てる場合ではないのでは」という考えに行き着いた場合

(少なくとも私の場合は)「睡眠時間は取った上で、残りの時間でできる範囲を今の実力と受け止める」と考える。

特に前日などは、最早多少準備を増やしても実力はあんまり変わらないことが多いので、「今持ってるカードで戦う」という戦法に切り替えようと考える。

失敗したらそれはそれで、次に生かせば良いのだな、と思い直すことにする。
ここで思い悩んだことを、次のモチベーションにすれば良いと考える。

 

失敗するのが怖く、それをなんとか避けたいので考え続けてしまう場合

「失敗する可能性がある」と悩む以上、対象は不確定なものだと思うので、すると100%避けることはなかなか難しいと思う。

そんな時は、他の人の失敗談などを調べてみると、自分のハードルを下げられるかもしれない。(逆に失敗のイメージが付かないように気をつけながら…)

誰にでも失敗はあり、経験が不足している以上起きうることである。
最悪、プレゼンなどであれば「死にはしない」と考えることもできる。

私は、あまり良くないが、前の発表者が完全に棒読みになっているのを見て、「これよりは上手くできるかも」と謎の自信を持てたことがある。

 

「考えなくていい」と言われても他に考えることがないから結局考えてしまう場合

これはどちらかというと時間のかかるやり方だが、依存先・所属するコミュニティ先を増やすのが有効と感じる。

わかりやすく何かの団体に加入するでも良いが、そこまでしなくても、何かを好きになることで、それを好きなコミュニティをSNSで眺めるようになったり、コミュニティの日々のイベントやコンテンツを楽しみに生きられるようになる。

特に、悩んでいる世界と無縁なものに触れることで、冷静になれたりする。

夢中になれるものがあると、夢中になっている瞬間、問題を忘れていることに気づけるし、忘れていても大丈夫(考え続ける必要はない)と思えるかもしれない。

ネガティブにならないようにするためには、そもそも自分を忙しくして考える隙を与えない、という方法もある。

 

<余談1>

メモを取るなら、いつでも開けるようにスマホアプリによるデジタルなメモがオススメである。私はSimplenoteというアプリを使っている。

 

<余談2>

メモを取る習慣を数年続けると、数年前に悩んでいた必死なメモを見返して、今はどうでもよくなっているな…と思えることがある。

この経験を繰り返すと、今悩んでいることも数年後にはどうでもよくなっているかも、と思えるようになるのでおすすめです。

 

反芻思考に陥りそうなときはひたすら「しりとり」をする

脳が暇な時は、油断すると人生の反省会を始めてしまう(いわゆる反芻思考)。

 

例えばお風呂に入る前、寝付く前、歩いている時など…

これ自体を止めようとしたことも何度かあるが、気がつくと自動で思考してしまっているので、「また反芻思考をしてしまった…」と凹むよりは、なるべく自分が楽しくなる解決策を考えようと思っている。

 

人によると思うが、私は単語をひたすら羅列するのが好きなので、以下のような暇つぶしをよく行っている。

(「これからお風呂に入るけど何か考えることが欲しい」という方で、もし趣味が合う方は以下から一つお風呂に持っていってください。)

 

<暇つぶしリスト>

・●文字しりとりをする(文字数縛り)

・ジャンル限定のしりとりをする(例:生き物限定、食べ物限定、など)

・自分が知っている鳥の種類を全て挙げる

・自分が知っている花の種類を全て挙げる

・自分が知っている魚の種類を全て挙げる

・言偏の漢字をひたすら羅列する

・「ショウ」と読む漢字をひたすら羅列する

・事前に音楽を大量に聴いておいて、ノリノリのままお風呂に入るなどする

などなど

 


また、他にもこれまで上手く行ったものと上手く行かなかったものを挙げる。

※お風呂に限る

 

<上手くいったもの>

・湯船にちゃんと浸かって頭をぼうっとさせることでそもそも思考させない(余裕のある時限定)

・お風呂で描けるクレヨンを導入し、アウトプット出来るようにして気を紛らわせる

 
<上手く行かなかったもの>

・防水スピーカーを持ち込み音楽をかける
 →設定が面倒になりやらなくなる

・1日1枚マグネットシートに油性ペンで絵を描き、それをお風呂に持っていって壁に貼る
 →面倒になりやらなくなる(でも30日くらい続いた)

・お風呂に「お魚一覧ポスター」みたいなのを貼る
 →見慣れてしまうしアウトプット出来ないので結果お魚には集中しない

・「謎解き」の本を購入し、1日1問内容を記憶してお風呂の中で考える

 →問題を記憶できない (防水の謎解きがあったら嬉しいです)

 

余談

これらを毎日試すことにより、ある日、これらが効かないほど頭を支配している何かがあった時には、それ相応のものだ、と判断することができる。

要は、自分がどこまでストレスを抱えているかがちょっとわかる(例えば、飲み会の後はまずしりとりなどできない)。

そうしたら、無理に「反芻思考をやめられなかったな」とは思わず、「今辛いのだな」と判断しても良いのではと思ったりする。

では辛いときはどうするかも考えなければいけないが…また今度考えることにする。

移調楽器の楽譜を読むとストループ効果が起きる

私は絶対音感があり、音楽を聴くと音が「(実音の)ドレミ」で聴こえる。

 

音感があることにより、聴いたことのある曲を楽器で弾けるのは便利だが、楽譜を読むときに問題が起こることがある。

 

まず、ピアノで以下の音を弾くと、当然「ド」の音が鳴る。

 

ただ楽器によっては、楽譜の「ド」を演奏したときに、実音の「ド」ではない音が鳴るものがある(いわゆる移調楽器)。

 

例えばトランペットは、楽器の「ド」を吹くと実音では「シ♭」の音が鳴る。

しかし私の耳にはどうしても「シ♭」にしか聴こえないため、自分は(「ド」ではなく)「シ♭」を吹いていると思っていて、つまりこの楽譜は最早「シ♭」だと思っている。

 

整理すると…

以下の同じ楽譜を見ていても、ピアノを弾いている時は「ド」と読み、トランペットを吹いている時は「シ♭」と読んでいることになる。

結構混乱するので、どんどん楽譜を読むのが嫌になり、耳で聞いて覚えてしまおう…という発想になってくる。

 

 

記事タイトルにも挙げた「ストループ効果」だが、一つの対象に対して複数以上の認知がぶつかることである。※ちゃんとした説明ではないのでご了承ください

例えば、赤字で書かれた「緑」を見て、「この文字が何色で書かれているか」を問われた場合が挙げられる。ぱっと見ると、最初に頭に「緑」が浮かびそうになるが、答えるべきは「赤」である。

 

↓何色で書かれているでしょう

 

まさに、同じ楽譜を見ても「ド」と「シ♭」という二つの認知がぶつかっているので、これはストループ効果だなと思う。

 

 

解決策としてはあまりないが、正直楽器を持っている時に自然と頭が切り替わっている感覚はある。

例えば「take」という文字列は、英語を読んでいる時は「テイク」と読めて、ローマ字の日本語の文章(?)で出てきたときには「タケ」と読める…といった具合のように、今自分が何の楽器を演奏しているかに合わせて読み方を変えている気がする。

 

本当は移調楽器を吹いている時も、その楽器の「ド」を「ド」として認識するのが良いのかもしれないが…今のところなんとかなっているのでもう少し模索したいと思う。

油断すると脳内の世界に入り浸ってしまうので、解決を考える

油断すると、脳内の世界に入り浸ってしまうことがある。

 

道を歩いている時でも、お風呂で髪を洗っている時でも、ふと何か脳が反応したワードが目に入ったり過去の出来事を思い出したりすると、意識はそこから消えて脳内に向いてしまう。

「ピアノ」という言葉が出てきて、頭の中でピアノを弾き始めてしまい、気が付くと会話に出遅れていることもある。

また、想起した言葉が辛い思い出に紐づいてしまうと、しばらく勝手に凹んだり、思わず叫びたくなってしまうこともある(外では叫ばないけど、家に一人でいたら叫んでいる)。

 

この「脳内の世界に入り浸っている」状態は心地良く、その時間を長くするために目の前のタスクをダラダラとしてのんびり進めてしまう癖がある(会議では流石にできないけれど…)。

 

その結果、当然だがなかなか目の前のやるべきことが終わらず、自由時間を確保できないという問題が生じる。要は、時間の使い方が下手なのだと思う。

お風呂では何回シャンプーをしたか忘れたり、誰かの話を当然聞き逃したり(明らかに耳には音が入っているのに…)、気が付くと歯磨きの手が止まっていたりと、何かしているはずなのに目の前のタスクがなかなか終わらなかったりする。

外から見れば、随分のんびり動いていて、でも、頭の中はとっても忙しい状態なのである。

 

とはいえ、この現実世界ではずっと脳内に入り浸るわけにもいかないので、私はいくつかの方法でなんとか現実の問題を対処している。

 

強制的に集中せざるを得ない環境を作る

タイマーをかけて時間制限をすることで、「歯磨きをする」が「何分以内に歯磨きを終わらせる」という難易度の高いタスクに変わるので、脳内の世界に入り浸る余裕を無くす。

あるいは少し方向性が変わるが、アプリ「ルーチンタイマー」など、タスクを順番にアナウンスしてくれるアプリがあるので、それに従って動くことで、「どんな精神状態でもとりあえずこれに従えば大丈夫」という環境を作る方法もある。

(ぜひ気になった方はアプリの名前でぐぐってください)

これはどちらかというと「脳内の世界に入り浸らないようにする」ではなく「脳内の世界に入り浸ってもいいようにする」かも…

 

一回、やるべきことを文字に起こしてからそれを潰す形式に置き換える

これはお風呂などでは実行しづらい方法だが… 脳内に入り浸りがちな場面として、「非言語的なタスク」「進捗が可視化されづらいタスク」が挙げられる。

 

例えば、漠然と「机の上を整理する」に困っているときなど、本当に細かくて良いので

 ・まず机の上のゴミを全部捨てる

 ・書類をすべてファイルに入れる

 ・電子機器を充電する

といった、数秒でできるタスクレベルでも、一度テキストに起こす。手を動かした方が早いものもありそうだが、脳内に入ってしまうくらいなら一度こうした方が早いこともある。

 

また、「可視化されづらいタスク」という意味では、些細な意思決定を一つとっても、一旦手順を整理してからちまちまと進めるとよいことがある。例えば美容院を決めるときに、

 ・美容院に求める条件を自分で考える

 ・最寄りの美容院を数件検索し、リストアップする

 ・条件に何点合致しているかを計算する

といった具合である。

(いわゆる「大きなタスクは細分化しよう」という一般論になりつつあるが)

 

ある程度思考に影響するような適度なノイズを加える

音楽を聴く、動画を流しておくなど…要は、余計なことを考える脳のリソースを潰しておくという案である。

ただ、「脳内で変なことを考えている」部分のリソースを「音楽を聴く」に置き換えているだけなので、本質的には問題解決になっていないような気もする…

個人的には一番よく使っていて、変に過去の辛いことを思い出してしまうくらいならこちらの方がよいなと思う。

 

ちなみに、何度か出てきた「テキストに起こす」をどう行っているかだが、PCでもスマホでも同期しているメモアプリがあると便利でよい(つまり、デジタルメモを使用している)。私は「simplenote」をずっと愛用している。

 

とはいえ、こうやって色々と脳内で思考することで、「こういったことをブログに書こう」などといった新たなやりたいことが見つかったりもするので、一概に「脳内に意識が向かう癖」自体は悪いものではないと思う。